2016-05-20 たおやかな風景 ⑰ 「鎮守の森」 奈良新聞連載記事

「鎮守の森」

小道に一歩足を踏み入れると、明るい南国の風景が一転した。集落を網の目のように巡る小道の両側には、まっすぐに伸びたフクギが並んでいる。豊かに茂ったその葉と枝がつくる緑のトンネルが郷愁へと旅人を誘(いざな)う。
森に入ると、照りつけていた陽射しはやわらかな木洩れ日に、海からの強い風は、心地よいそよ風となり、ほてった肌をやさしく冷やしてくれる。
フクギの並木の合間からは古い民家や人々の暮らしが垣間見える。ここは時間が止まっているのか、歩いていると自分だけが何か異質なものに思えてくる。
沖縄本島北部、本部(もとぶ)半島の先端付近の集落備瀬は、約250戸ある集落全体がフクギに覆われている。樹齢は高いもので約300年、琉球王朝時代に植えられたものだという。幹が真っすぐに伸び、葉が密生するフクギは、亜熱帯地方の防風林に適しており、また肉厚な葉は燃えにくいため防火の効果もあるという。
先人たちは、風害に悩まされてきた海辺の集落を守ろうと、家々を、そして集落全体を、フクギの苗木で囲み込んだ。フクギは何十年もかかって大きくなる成長の遅い木である。恐らく苗木を植えた人たちはフクギの恩恵を受けることはできなかっただろう。彼らは、自分のためではなく、子孫やこの地の未来のためにフクギを植えたのだ。
集落にある「拝所」なども、ひょっとしたらフクギを守るための先人たちの知恵だったのではないだろうか。「木を切ると罰が当たるぞ」集落の命の森を守り育てたいという先人たちの祈るような想いが伝わって来る。何百年もの間、大切に受け継がれてきたこの森は、今も精気に満ち、強烈な台風に見舞われるこの地を、そしてここに生きる人々の生活を守り続けている。フクギの森はまさに備瀬の「鎮守の森」だ。
春日大社を抱く「鎮守の森」はまた少し趣が違う。
太古の昔、神々は春日の森に降臨され木々と一体化された。森や木々は神そのものとして崇められ、森に入り狩猟や樹木を伐採すること、また落葉樹に植え替えることなども固く禁じられてきた。この森が緑濃い照葉樹の原生林、精気に満ちた太古の森として奇跡的に生き残った所以である。
春日の森のほんの片隅に、生い茂る馬酔木が緑の洞窟さながらの小道をつくっている。それが「ささやきの小径」、正式には「下禰宜の道」と呼ばれる小道である。
いつもは馬酔木の陰に身を潜めている藤も、この時ばかりと美しい紫の花を垂れ、その昔この地を支配した者たちの栄華を静かに伝えている。
凛とした冷気は神々の吐息に、葉のざわめきや時おり木々が立てるきしむような音は神々のささやきに、雨上がりのケラケラという小川の音は神々の笑い声に聞こえてくる。
奈良市街地に隣接する壮大な太古の森は、この地に住む私たちの「鎮守の森」なのかもしれない、備瀬のフクギの森に思いを馳せながら、ふとそんなことを思った。
備瀬から帰ってすぐ近所の氏神さんを訪ねた。今まであまり意識しなかったが、社の後方には森があり、奥にはその森に入るための階段が設けられていた。お正月には人が溢れる境内もひっそり静まり返り、落ち葉や小枝が散乱する森に足を踏み入れると、いっそう寂しさが込みあげてきた。
元来「鎮守の森」とはその地域を守る神が降りて来る森のことを言い、人々は間伐したり弱った木を伐ったりなどしてその森を大切に守り育ててきた。森から出た材や薪は社殿の材として、また神社のお祭りなどに無駄なく使われた。
そして「鎮守の森」には、日が暮れるまで元気に遊ぶ子どもたちの声が響き渡っていた。

「村まつり」 文部省唱歌
村の鎮守の神様の
今日はめでたいお祭り日
ドンドンヒャララドンヒャララ
ドンドンヒャララドンヒャララ
朝から聞こえる笛太鼓

「鎮守」と聞いてこの歌を思い出す人も減ってしまったことだろう。この唱歌が明治45年に発表されてから百年余り、この国の「鎮守の森」はどう変わったのだろうか。