2016-11-11 たおやかな風景 ㉙ 「アラン模様」 奈良新聞連載記事

アラン模様
学生のころ、雑誌の中の一枚のセーターに一目惚れしてしまったことがある。それは当時流行していたアイビー・ファッションの雑誌の中に紹介されていた、俗にフィッシャーマンセーターと呼ばれていたものである。手の込んだ模様編みの施された生成りのセーターに、さりげなく巻いたタータンチェックのマフラーが実にお洒落で、それがまたそのモデルの男性に似合っていた。
『これをクリスマスにプレゼントしよう!』ろくに編み物もしたことのない私が、当時付き合っていた男性にこのセーターを、しかも自分の手で編んでプレゼントしようと決心したのだから無謀極まりない話である。それがアイルランドのアラン諸島に伝わる伝統的なアラン模様であることを知ったのは、セーターが完成してからずっと後のことである。
アイビー・ファッションの流行と重なるように、若い女性の間での手編みブームがピークを迎えていた。当時は、電車の中でも編み物をする女性の姿をよく見かけたものだ。
店頭を彩る毛糸に誘われて、久しぶりに手芸店の中に入った。ここ何年か隅に追いやられる一方だった毛糸のコーナーが拡張され、壁一面を様々な毛糸が飾っている。また手編みのブームがやってきたのだろうか、心躍らせながらあれこれ物色していると、お洒落なツイード風の毛糸が目に飛び込んできた。全体が朽葉色で、ところどころ赤やクリーム色などが散っている。『この秋色の毛糸でアラン模様を編んだらどんなに素敵だろう』そう思うが早いか、私は秋色の毛糸玉5個抱きしめてレジに並んでいた。
何の目的もなく毛糸を衝動買いしたものだから、誰の何を編むかがなかなか決まらない。秋色の毛糸と愛用の生駒高山製の竹棒針を入れた籠をひとまず床におろし、アランニットの本をめくってみることにした。
ヨーロッパの西の果て、北大西洋に浮かぶアイルランド。首都ダブリンからさらに西へ200㎞、ゴールウェイ湾の沖合に点在する3つの島がアラン諸島である。最も大きなイニシュモア島でも全長14㎞、人口は3つの島合わせても1400人足らずという小さな島の連なりである。世界中の人に愛されるアラン編みのセーターは、この最果ての小さな島の漁師の日常着として誕生した。
島は硬い岩盤に覆われていて、人々はその岩を砕き、海藻を混ぜて土を作った。そしてその大切な土が風で飛ばされないように石垣を張り巡らせた。石垣が大地につくる模様も、積み上げた石が石垣につくる模様も、この島では何を見てもアラン模様に見えて来る。一つ一つのアラン模様には、過酷な自然と共に生きてきた人々の祈り、海で働く家族への想い、美しい島の風景への賛美・感謝の念が編み込まれているのだ。
岩の割れ目のわずかな土に根を張った野草が、清楚な花を咲かせている写真があった。ふと、この国のあの民謡が頭をよぎる。
庭の千草も、虫の音も
枯れて淋しくなりにけり
ああ白菊 ああ白菊
ひとりおくれて 咲きにけり
『庭の千草』は、アイルランド民謡『The Last Rose of Summer』を里見義が日本語に訳し、明治17年に教科書に紹介したものである。「薔薇」が「白菊」に置き換えられたところなどはいかにも日本らしいが、岩の割れ目に嫋やかに咲く白い花は、むしろ「白菊」の方がしっくりくる。
緩やかな三拍子に乗せて歌われる哀しいほどに美しい旋律に、やがて自分にも訪れるだろう人生の終焉のことを想ってしまう。原詩の最後はこう締めくくられる。
「愛する人がいなくなったら、この荒涼たる世の中で、誰が一人で生きられようか」
秋色の毛糸で編むものが決まった。編み込むアラン模様は「ケーブル」と「ダイヤモンド」。「ケーブル」は漁師の使う命綱や農夫の収穫物を束ねる綱の、「ダイヤモンド」は富や財宝、成功の象徴である。
セーターからネックウォーマーに、随分と小さくはなったが想いは変わらない。人生のパートナーにはまだまだ元気で頑張ってもらわねば…