2016-11-25 たおやかな風景 ㉚ 「お天道様」 奈良新聞連載記事

「お天道様」
「お天道様は何もかもお見通し」
誰も見ていなくても、お天道様が見ているから悪いことはできない。
太古の昔より、人々は太陽を神格化し崇めてきた。農耕を営むようになると、五穀の成長と豊穣をもたらす太陽は、崇拝の対象となった。
誰人(たれびと)も手の届かない遥か彼方から暗闇を照らし、地球上のすべての生命を産み育てる太陽は、自然の中で生きてゆく人間にとって、畏れ多い自然神であった。もし太陽がなかったら地球は氷に覆われた暗黒の世界で、生命も何も存在しない孤独な星だったに違いない。神様の正体は太陽、お天道様に違いないと、わたしは常々思っている。
「ほしがき」
ほしがきのなかは あまかった
しぶがきを そとにほしただけで
あまがきになるなんて ふしぎだなあ
ぼくは おひさまをあびて
あまくなるのだとおもう
おひさまのこころが あったかいので
しぶがきのきもちも あったかくなる
この小学一年生の男の子の詩に出会ったのは12年前のことである。「お日さまの心」「渋柿の気持ち」、子どもの感性に度肝を抜かれた。宗教のことも科学のことも、難しい理屈など何も知らない子どもの心の目の美しいこと!教育とは何だろう、我々は教育受けて本当に心豊かな大人になっていくのだろうか、ずいぶん考えさせられた。
目に見えないものは心の目でしか見ることができない。我々は大人になるほどに知恵がつき、妙に理屈っぽくなる。理屈で片付けようとすればするほど、心の目は固く閉じてしまう。そして、目に見えているものだけしか信じられなくなってしまう。
椎茸も大根も海藻もお茶も、お米だって天日に干すと美味しくなり、栄養価も高くなる。渋くとんがっていた渋柿も、お天道様のあったかい心に包まれて、甘くてやさしい柿になる。理屈っぽい説明など必要ない。お天道様のお恵みなのだ。自然の中で生きているものは、みんな、お天道様のお陰で生きているのだから。
ところでこの柿、「Diospyros kaki Thunberg(ディオスピーロス・カキ・ツンベルグ)」という学名をもっている。Diospyrosは、ギリシャ語のDios(神)とpyrps(穀物)に由来し、「神の食べ物」というような意味になる。Kakiは日本語の柿、そしてThunbergは、カキの発見者のカール・ベール・ツンベルグ博士 の名前である。ツンベルグ博士は日本に来たことがあるという。恐らく日本で出会ったあまりにも美味しい果実に「神の食べ物」という名を与え讃えたのだろう。
「神の食べ物」と讃えられたのはその味だけではない。「柿が赤くなると医者が青くなる」と言われるように、柿は非常に滋養に富んだ果物である。例えば柿1個で、人が一日に必要なビタミンCが摂れてしまうという。実だけではない。葉にも殺菌作用や抗酸化作用などの効能がある。奈良の柿の葉寿司はこの効能にあやかるものである。さらに葉の蛋白質を凝固させる性質は、鯖の身を締めてくれ、その香りは魚臭みを消してくれるという。この柿の葉の効能に気付いた先人に心から拍手を送りたい。
この「神の食べ物」に、さらにたっぷり天日が注がれてできる食べ物が干し柿である。中には糖分が羊羹の1.5倍にもなるものもあるという。砂糖が簡単に手に入らなかった時代、干し柿は庶民にとっては貴重な甘味源であった。正にお天道様のお恵みだったのだ。
11月中旬、吉野川に沿って、上市から奥吉野へと歩いた。目的地の国栖の里に着いたころには日は傾き、山々の衣は昼間より紅みを帯び艶やめいて見えた。
この国栖の里の和紙作りは、壬申の乱の中心にいた大海人皇子によって伝えられたではないかという言い伝えがある。この地の手漉き和紙の歴史の深さを物語るものである。
窪垣内の集落のこの和紙屋の庭先で、何百年も天を仰ぎ続けて来た松の板の上で、この日も真白い和紙が天から注がれる日を一心に浴びていた。何と神々しい光景であることか。
神に与えられし錦の衣をまとう晩秋の吉野。旅の終わりに、そっとお天道様に手を合わせた。