2016-12-09 たおやかな風景 ㉛ 「お乳」 奈良新聞連載記事

お乳
深く透き通るインクブルーの空に、天青石の欠片のような星が瞬き始めた。北海道の冬には夕方というものがない。いきなり夜がやって来る。つい先ほどまでキャンパスを行き来していたたくさんの人影も、いきなり消えてしまった。
誰もいないバス停でタクシーが来るのを待っていると、雪夜の静寂をかき分けるように、何かがカタカタと音を立てながら近づいてくる。サンタクロースのそり?いや、それにしては少し早い。
やがて街灯が一人の青年の姿を捉えた。青年は大きな集乳缶を2本積んだリヤカーを押し、凍てついた雪道を足早に通り過ぎて行った。
見送りに来てくださった先生が、あの集乳缶の中には寮生が飲むお乳が入っているのだと説明してくださった。その日の当番の寮生が、自分たちが飲むお乳を牛舎までもらいに行き寮に運ぶ、それが代々寮に伝わる習わしだという。
遠ざかる青年の後ろ姿に、この日牛舎で見た様々な光景が重なった。
全国各地から集まった若者たちが、全寮制のこの学び舎で酪農を学ぶ。酪農を通して、大自然のしくみ、その厳しさ、大切さを学ぶ。そして決意と大きな希望を持って郷里の牧場へと帰って行く。
生命と向き合う仕事だ。練習だから学生だからなどという妥協は、ここには一切ない。彼らが搾るお乳は、大手乳業メーカーに納められ、牛乳として、バターやチーズ、赤ちゃんの粉ミルクなどに加工されて全国のスーパーマーケットなどに並ぶ。些細なミスも許されない。教える方も学ぶ方も常に真剣勝負だ。
子牛の誕生を目の当たりにした若者は、きっと自分が生まれた時のことを想うだろう。ふと母親が恋しくなるだろう。
人間の糧としてこの世に生を受ける動物たちの運命(さだめ)も識らなければならない。趣味でペットを飼っているのとはわけが違う。
牛舎に暖房はない。まだ日も昇らぬ朝、日没後、冬の作業は一段と厳しい。寒さと緊張で張り詰める牛舎の中では、いつもと変わらず坦々と作業が進められて行く。
後ろ髪を引かれる思いで夜の牛舎を後にした。寮にお乳を運ぶ青年の姿を見たのはその直後のことだった。
「今日も一日がんばったね」
我が子の健康を、遠く離れた地から祈ることしかできない母親に変わって、母牛が学び舎の子ども達に優しいお乳を飲ませてくれる。そんな風に思うのは、私もまた、息子達の健康を遠くから祈ることしかできない母親だからかもしれない。
帰り道、何かで読んだ「無知は罪である」という言葉が頭を過った。
旅で観光地を訪れるのも良いだろう。しかし、旅はその地の農に触れることができる絶好のチャンスである。それを逃すのは実にもったいない。
生命の糧である農のことを、私たちはどれほど知っているだろう。農の大切さは教科書だけでは分からない。現地に足を運び、実際に見聞きしないことには、真の農の姿を知ることはできない。
そう言えば、私はこんなことも教科書では習わなかった。日本の酪農の原点が奈良にあるということ。
仏教の教えと共に、牛乳の知識・薬効、乳牛の飼育法、搾乳技術などが大陸から伝わった。7世紀ごろには天香久山の麓で牛が飼育され、お乳を搾り、そのお乳から蘇なる古代チーズを作っていたという記録が残っている。
渡来人であった智総の子・善那は、孝徳天皇(在位645~654)に牛乳を薬として献上し、その後も朝廷内で乳製品の普及に努め、天皇から薬を管理する医者の和薬使主(やまとくすしのおみ)という姓(かばね)を授かった。
私たちが牛乳を飲み乳製品を食べるようになったのは、一概に食の欧米化とは言えない。なぜならば、1300年以上も昔の飛鳥の時代から日本にあった食文化なのだから。
今朝は、ご飯にお豆腐のお味噌汁、納豆という簡単な和食に温めたミルクをいただいた。
ミルクの湯気の中に、牛舎の分娩房で嗅いだ甘いお乳の匂いがした気がした。
「今日も一日がんばってね」
お乳は、優しい母の声がする。