2016-12-23 たおやかな風景 ㉜ 「モミの木の想い出」 奈良新聞連載記事

モミの木の想い出

 

子どものころを過ごした京都の家の庭に、1本のモミの木があった。
毎月、弘法大師の月命日である21日に東寺で開かれる縁日には、骨董品、古着、植木などの露店が所狭しと軒を連ね、境内はたいそうな賑わいをみせる。特に12月の縁日は「終い弘法」と呼ばれ、遠方からもお正月用品を買い求める人々が押し寄せ、普段の縁日にもまして人で溢れ返る。
その日も歩くのがやっとという大混雑、こんなことなら留守番していればよかったと、わたしは母に着いてきたことを後悔していた。とその時、植木屋さんの片隅に数本のモミの木を見つけた。『どこの森から連れて来られたんだろう』子どものわたしは、絵本の中の遠い外国の雪の森を思い浮かべていた。わたしは自分が持つからと母にせがんで、中でも一番小さいモミの木を買ってもらった。
家に帰ると、さっそく植木鉢に植え替えてやり、クリスマスの飾り付けをし、最後に雪に見立てた白い綿をたっぷり枝にのせてやった。その夜は、部屋の明かりを消し、雪の枝の奥でやさしく瞬くドロップのような灯りを、いつまでも眺めていていた。
翌年、植木鉢が小さくて苦しそうにしているモミの木を庭に下ろしてやった。モミの木は気持ち良さそうに枝を広げた。
それから数年後、わたしたち家族は引っ越すことになった。モミの木はずいぶん大きくなっていたが、父が何とか掘り起こしてくれて、一緒に宇治の新居に連れて行くことができた。広くなった庭に存分に根を張ったモミの木は、見る見る大きくなっていった。
それから10年が経ち、わたしは自分の背丈より遥かに大きくなったモミの木を見上げ、「ありがとう」と声をかけると、奈良へ嫁いで行った。
年老いた両親がわたしの側に引っ越して来ることになった時には、モミの木は庭一番の大樹になっていた。モミの木は両親を送り出すと、自分はその庭に残った。わたしはそれ以来そのモミの木に会っていない。
シベリウスのピアノ曲『樅の木』に出会ったのはその数年後だった。
交響詩『フィンランディア』(1900年初演)で大成功を収めたシベリウスが選んだ家は、贅沢な邸宅ではなく、ヘルシンキ郊外の小さな村の、森に囲まれた質素な家だった。
『樅の木』はスケッチブックにふいに描きとめた水彩画のような小さな作品ではあるが、渋いロマン性に満ちたその音楽には、シベリウスの祖国の森への愛、モミの木への畏敬の念が溢れている。
〈ふいに吹く風に誘われて森に足を踏み入れると、孤高に佇む一本のモミの木が現れる。モミの木は森に迷い込んだ者を諭すかのように語り出す。するとまた風が舞い始め、モミの木はまだ何か言いた気な強い余韻を残しながら、固く口を閉ざしてしまう〉
この曲が醸すとてつもない孤独感は一体何だろう。わたしは庭に残してきたモミの木のことを想い出していた。どうしようもなく淋しい。孤独なのはモミの木なのか、それとも自分なのか…
この曲には、幾度となく厳しい冬を耐え抜いたモミの木の魂の声が静かに流れている。
「生まれた所を一歩も動かず風雪に堪え、逃げもせず他を攻めず、静かに己れを律して命をつなぐ植物を私は尊敬する。何百年も生きた古木の厳粛な姿には生物の王者の風格がある」画家・堀文子さんのこの言葉とシベリウスの『樅の木』が重なり合う。
フィンランドでは、モミの木を生と死、つまり永遠に輪廻する命の象徴として大切にされてきた。そしてクリスマスには、モミの木の傍らに家族が集い、神聖な時を心鎮(しず)かに過ごす。
川上村のモミの木でクリスマスのリースを作ったからと、吉野上市の友人から嬉しい便りが届いた。そう言えば、川上村の滝を見に行ったとき、滝のそばに立派なもみの木があった。あのモミの木もそろそろ白い綿のような雪をのせているころだろうか。
今年のわたしのクリスマスは川上村のモミの木のリースひとつ。遠い日のモミの木に想いを馳せる鎮かなクリスマス。