2017-02-10 たおやかな風景 ㉟ お稲荷さん 奈良新聞連載記事

お稲荷さん

 

何気なく開いた雑誌の中で懐かしい物語に出会った。奈良にも小雪がちらつく冷たい午後のことである。
「里にいでて手袋買いし子狐の童話のあはれ雪降るゆふべ」
美智子皇后陛下がこのお歌をお詠みになられたのは平成4年、秋篠宮家に内親王がお生まれになられた翌年のことである。
「お母ちゃん、お手々がちんちんする」と子狐がさしだした、冷たい雪で牡丹色になった手を、はーっと息をふっかけて、ぬくとい手でやんわりと包んでやった母狐は、夜になったら町まで行って、坊やのお手々に合うような毛糸の手袋を買ってやろうと思う。
夜ごと子どもたちに読んでやった母子狐の心温まる物語、新美南吉の『手袋を買いに』である。
一方、こちらの母狐が子狐に買ってやったのは毛糸の手袋ではなく綿入れの帽子である。
昔、郡山城下町の柳二丁目に帽子屋があった。寒い冬の夜、ひとりの婦人が綿帽子を買いにやって来た。そして代金は源九郎稲荷神社に取りに来てくれと言って立ち去った。後日、帽子屋が神社に代金の取り立てに行くと、誰も心当たりがないという。押し問答をしていると、境内に綿帽子をかぶった可愛い3匹の子狐たちが顔を出した。
源九郎稲荷神社に伝わる綿帽子を買った狐のお話である。
大和郡山の洞泉寺町にある源九郎稲荷神社は、豊臣秀長により郡山城の鎮守として創建されたと伝えられている。「源九郎」とは、文楽や歌舞伎の『義経千本桜』に出てくる源九郎狐のことである。この狐は、静御前が持つ初音の鼓が自分の両親の皮でできていたことから、その鼓を慕って、源義経の家臣・佐藤忠信に化け、兄の頼朝に追われていた義経と静に寄り添い、二人を守り通す。途中で義経に狐であることを見破られるが、義経は狐と自分の身の上とを重ね合わせ、親慕う狐を憐れむ。そして、その神通力で自分たちを守り通してくれたことに感謝し、自分の名である「源九郎」をその狐に与えた。
シャープな小顔に切れ長の澄んだ眼、流麗な体つき、その怜悧さゆえ、良くも悪くも言われてきた狐である。しかし、昔話や童話に登場する狐たちは、古くから日本人に親しまれてきたその証拠に、みなどこか愛嬌がある。
稲穂の垂れるころ、親子狐が里に下りて来て、親狐は田んぼの近くで子狐たちのために食物をあさる。食物は稲穂を狙う害獣、野ネズミなどだ。農村に生きる人々にとって、豊かに実る稲穂と同じ黄金色の毛並みを持つ狐たちは、まさに田の守り神であったのだ。
お稲荷さんの主祭神、穀物の神である宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)には、御饌都神(みけつがみ)というもう一つの名前がある。その「ケツ」が狐の古名「ケツ」に想起され「三狐神」と誤って書かれたことが始まりで、お稲荷さんの大神様たちと共に狐が祀られるようになったのだという。こうして、古くより田の守り神であった狐は、五穀豊穣、稲の豊作を司る神の使いにまで上り詰めることになる。
難しい話はよく分からないが、お稲荷さんと言えば狐、狐と言えばお揚げさん、お揚げさんと言えば母の作るおいなりさんを想う、京都伏見育ちのわたしである。
なぜ二月にお稲荷さんにお参りするのか、子どもにはそんなことお構いなし、稲荷山の頂上まで連なる朱色の鳥居を数えながら、長い階段を登っていくことが楽しみであった。
その日が「初午の日」で、あれは初午詣をする参詣者の賑わいであったこと、そして春の農事の前に豊作を祈るお祭りであったことを知ったのは、大人になってからのことである。
昨年「白狐源九郎」のうた語り公演で源九郎稲荷神社とのご縁をいただいた。大和のこのお稲荷さんが日本三大稲荷の一つ、さらには、あの『義経千本桜』に登場する白狐源九郎が祀られていると聞き、30年以上も近くに住まいながら、そんなことも知らなかった自分に呆れるやら、こうはしていられないと奮い立つやら。
今年の初午の日は、綿帽子をかぶった子狐たちと、源九郎さんに会いに、大和のお稲荷さんに。