2017-02-24 たおやかな風景 ㊱ 猫の恋 奈良新聞連載記事

猫の恋

 

「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している」
実家の物置の裏のじめじめしたところで、ただ1匹でニャーニャー泣いていた事を、我が家にやって来た黒猫も記憶しているのだろうか、この主人公のように。
猫は苦手だった。しかし「今日は日曜日であいにく保健所がお休みみたいで、明日になれば…」隣の奥さんの言葉を遮るように「私が連れて帰ります」と勢いで連れて帰ってきてしまった。生後3日目ぐらいの触るのも怖いような仔猫を、である。
我が人生にまさかの登場人物、いや登場動物。「面倒見てやろうじゃないか」と腹をくくって8カ月になる。
猫が日本史の中に登場するのは飛鳥時代、1400年ほどの昔のことらしい。その猫は中国からの船に荷物と一緒に乗ってやって来た。ネズミから荷物を守るためだ。
正式には、宇多天皇の日記の中に「唐から黒猫をもらった」という記録(889年)が残っているよいう。というわけで、枕草子や源氏物語の中で、位の高い猫やいたずら猫たちが、悠々と宮中を往来する。
人間と猫とのこの長い歴史を思えば、猫にまつわることわざ、慣用句の多さにも合点がいく。
猫に小判、猫の手も借りたい、借りてきた猫、猫の額、猫も杓子も、猫をかぶる、猫に鰹節、鳴く猫はネズミを捕らぬ、猫にまたたびお女郎に小判、猫の子一匹いない、猫の子をもらうよう、猫を追うより皿を引け、猫なで声、猫可愛がり、猫もまたいで通る、泥棒猫、猫ばば、猫舌、猫っ毛、猫背…枚挙にいとまがない。
長い共存生活のせいか、猫と人間はどことなく似ているような気がする。何もかも見透かされているような眼にぎょっとすることがある。落ち込んでいる時に「そんなこと気にするなよ」と言わんばかりに向けてくれる眼には、心底癒される。
「貧困の辛い時代を彼らが支えてくれたから今の自分がある。今は猫に恩返しをしているのだ」と語るのは魂のピアニスト、85歳にして未だ現役で活躍するフジコ・ヘミングである。
昨年、テレビで聴いた情報が確かであれば、彼女はパリの家で猫5匹と、東京の家では猫30匹と暮らしているという。「演奏して得たお金の殆どを児童福祉施設や動物愛護団体に寄付しているから、猫たちの面倒を見るためにも、私はまだまだピアノを弾き続けて稼ぐ必要があるのだ」と彼女は語る。クラシック界異例の大ヒット記録を打ち出したファーストCD『奇跡のカンパネラ』、その200万枚を超える売り上げも、恵まれない子どもや猫たちのために使われたのだろう。波乱万丈の彼女の人生を支えていたのは、猫とピアノだった。
長い歴史の中で猫の役目も変わった。ネズミを捕る必要もなくなった猫たちは、厄介ものになれば捨てられ、町をうろつけばたちまち捕まり施設に放り込まれる。
野良猫も住みにくい世の中になったが、かといって驚愕の値札を付けているペットショップのガラスケースの中の猫たちも、幸せそうには見えない。
春の足音が聞こえてくると、猫たちの恋の季節が始まる。そういえば何年か前までは、猛り狂ったような鳴き声の応酬に、夜中よく目を覚ましたものだ。
「羨まし 声もをしまず野良猫の 心のままに妻恋ふるかな」(藤原定家)
理性がつきまとう人間の恋愛事情からみれば、あからさまに性欲をぶつけ合う猫の求愛をふと「羨まし」と思うのも分からなくもない。
我が家の黒猫にも恋の季節がやって来た。雌猫どころか、親も兄弟も知らない孤独な生い立ちの猫の恋、震えるような切ない声が哀れで聞くに堪えない。
去勢手術が終わって家に帰って来くるなり、勝手口の隅っこに小さく丸まった。そして「どうして」と言うようなうるんだ眼で私をじっと見つめる。そうか、私はこの猫の恋を奪ってしまったのだ。
最期のその時まで家族として大切に守ってやることで、少しでもその罪を償いたい。