2017-03-10 たおやかな風景 ㊲ SPRING 奈良新聞連載記事

SPRING

 

春の語源には、天気の「晴る」、草木の芽が「張る」などの諸説がある。しかし、ここはあえて英語のSPRINGが醸し出す春が好きだ。
SPRINGの原義は「突然湧き出る」、そこから「地面から水が湧き出ること」や「跳びはねること」へとつながり、そして「泉」や「ばね」を意味するようになる。さらに「芽が出ること」へと広がり、草花が芽を吹く季節「春」を意味するようになったのだという。
〽春のうららの…
こんな長閑な春の定番ソングの影響もあってか、私たちは春というと、うららかで、おぼろげで、ゆるやかなイメージを抱きがちである。しかし、春は思うほどゆるやかな季節ではない。自然界が一斉に芽吹き活動し始めるのだ。エネルギーが跳びはねるように湧き出る、極めて活気に満ちた旺然たる季節である。
日照時間が長くなりはじめると、まだ凍てついている大地の下では、冬の懐の中で充分にエネルギーを溜め込んだ生き物たちが、ゆっくりと助走に入る。そして、春めく光や風を感じ取ると、一気に加速し、大地から飛び出す。
滑走路を走る飛行機がふわっと地面から浮き上がるあの瞬間のように、びっくり箱のふたを開けるあの瞬間のように、SPRINGはやってくる。

はなをこえて
しろいくもが
くもをこえて
ふかいそらが
はなをこえ
くもをこえ
そらをこえ
わたしはいつまでも
のぼってゆける
はるのひととき
わたしはかみさまと
しずかなはなしをした
(「はる」谷川俊太郎 詩/團 伊玖磨 曲)

谷川俊太郎は「神とは人間の姿から離れ、むしろ目に見えないエネルギーのようなイメージである」と言う。確かに「かみさま」の登場するこの歌には、「目に見えないエネルギー」がほとばしっている。
ひとたびこの「はる」を歌い出すと、私はふわりと風に乗り、上へ上へと昇って行く。春の風が吹き渡り、春の光に満ち溢れるこの音楽の中に、私は弾けるようなSPRINGを感じずにはいられない。
実は今この瞬間も、私の周りには弾けるようなSPRINGがいっぱいだ。
重いお尻を持ち上げる椅子のSPRING、叩かれても叩かれても跳ね返してくるパソコンのキーボードのSPRING、マウスの中で電池を抱えているのもSPRINGだ。
クリップ、ボールペン、ソファ、ベッド、電化製品、自転車、自動車、鉄道車両、建物…私たちの暮らしは、もはやSPRINGの弾性エネルギーなしには考えられないぐらいだ。
心の中のSPRINGも忘れてはならない。もし心の中にSPRINGがなかったら、私たちは些細な失敗や悲しみからすら、立ち直ることができない。
絶望のどん底でぺしゃんこに押しつぶされても、私たちはいつの間にか立ち上がっている。
神様は、人間の心の中にSPRINGを仕組むことも忘れなかった。
SPRINGとは、春とは、そういうものなのだ。
3月に入って東大寺の修二会の行法が始まった。
13日の未明、二月堂下の若狭井から、ご本尊にお供えするお香水が汲み上げられる。この行法が「お水取り」と呼ばれる由縁である。
練行衆の道明りとして、夜ごと火がともされていたお松明に加え、「お水取り」直前の12日の夜には巨大な籠松明が登場する。
6日、久しぶりに修二会に足を運んだ。夜ごと行われている、幻想的かつ原始的な荒行を目の前で見せてもらった。10本のお松明が次々と上堂し、勢いよく二月堂の暗い回廊を駆け巡る。天をも焦がす勢いの炎は、パチパチと弾けながら、埋め尽くす何万もの群衆に火の粉を浴びせかける。その度に、群衆からは地響きのようなどよめきが湧き上がる。練行衆の下駄の音も、群衆のどよめきも、遠く鐘の音も、みな燃えたぎる炎の熱気と渦巻く白煙と共に、漆黒の天に昇っていく。
奈良の時代に始まり、大火事で伽藍が焼け落ちた時ですら、修二会だけは「不退の行法」として、ただの一度も欠けることなく連綿と今日まで受け継がれてきた。1200年以上も続く古都の儀式が放つ圧巻のエネルギーを前に、私たちは胸を昂らせる。
この巨大なエネルギーを放つSPRINGが、大和に春を呼んでくる。