2017-04-14 たおやかな風景 ㊴ 琵琶湖に棲むもの 奈良新聞連載記事

琵琶湖に棲むもの

 

堀切港を出た船は、体を大きく揺すりながら沖島へと向かった。
豊かな水を湛える雄大な風景に、大海に漕ぎ出でるような錯覚を起こすのだが、頬を打つ澄んだ風が、そこが湖上であることを思い出させた。
静かな湖面が、水しぶきを飛ばし大きなうねりを見せた。まるで船の行く手を阻んでいるかのようである。
湖面を見つめていると、ふと父の顔が浮かんだ。父は「竹生島まで泳いで渡った」と得意満面である。琵琶湖の話をするときの父は、いつも少年のように目を輝かせた。
しかし、父は本当にこの湖を泳いで渡ったのだろうか。湖面は不気味なほどに底を隠して見せない。
滋賀出身の両親の元に生まれた私は、琵琶湖との心の距離が近い。
映画『マザーレイク』の制作の一端を担った滋賀の友人が、ロケ地を巡るツアーに誘ってくれた。私は迷うことなく飛びついた。
全国での封切りを前に、瀬木直貴監督と共に沖島を巡り、その後、島の漁業共同組合で、地元の人たちと一緒に映画を鑑賞するというものだ。
映画は、昨年大津で観て二度目の鑑賞となるが、沖島、いや琵琶湖の浮島に上陸するのはこれが初めてである。
沖島は日本で唯一、世界でも希少な定住者がいる湖沼に浮かぶ島である。そのことを謳うだけでも観光スポットになりそうなものであるが、島の人たちはそんなことには興味を持たなかった。ただ小さな島の漁村の暮らしを守って生きてきた。
この島には車は一台もない。コンビニもない。通りには生活の道具が無造作に顔を出し、漁の仕掛けと並んで洗濯物が堂々と風になびいている。
琵琶湖の水が、この島を都会の喧騒から切り離し、ここに湖辺の原風景を残した。
何をもって人はこの島を「何もない島」というのだろう。ここには、私たちがうっかり手放してしまったものが、今もいっぱい残っている。
この映画は、滋賀を活性する目的で制作されたものだと聞いていたので、勝手に小規模なローカル映画を想像していた。しかし予想は大きく外れた。
琵琶湖を舞台に繰り広げられる温かいヒューマンドラマの陰には、汚れなき子どもの心と、歪んだ大人社会との葛藤が見え隠れする。映画を観ながら、私はその両方を行ったり来たりした。何度も涙が頬を伝った。
この映画が滋賀という枠を越えて多くの人の心を打つのは、失ってしまった大切なものを、この中で見つけ出せるような気がするからではないだろうか。
昨年、湖西の針江を訪ね、琵琶湖辺の自然を守る人々の暮らしを目の当たりにした。人々の「水を守る」意識の高さがとにかく凄い。町中を巡る豊かな湧水は、各家々が使い終えてもなお澄み渡り、川はその美しい水を集めて、琵琶湖に注ぐ。
琵琶湖に抱かれた自然を巡る水は、湖辺の人々の生活だけではなく、京都から大阪へ至る各地を潤し、数え切れないいのちを育んでいる。上流から下流への水のリレー、それは思いやりのリレーでもある。
夕方になって波が少し高くなったのだろうか、港に繋がれたたくさんの船が、時折どこかにぶつかるような音を立てている。
往きの船でも感じたことが、湖とはいえ船が思いのほか揺れる。島の人の話によると、船が出せないほど荒れる日も結構あるという。琵琶湖を侮ることはできない。
和銅5年(712年)、当時まだ無人であったこの島に社を作り、航行の安全を祈願した人がいた。今から1300年余り昔、琵琶湖の中に神社を建立したその人は、藤原鎌足の息子、奈良に興福寺を創設し藤原氏栄華の基礎を築き上げた藤原不比等である。
出航までにもう少し時間があるというので、神社に走ることにした。細い路地を走り抜け、丘の中腹の斜面にへばりつくように建てられた奥津嶋神社の急な階段を一気に駆け上がった。
息の上がった私を迎えてくれたのは、社殿が見下ろす神秘的な光景であった。中で何かがうごめいているのだろうか、湖面は刻々と表情を変えていく。
無意識に、私は静かに手を合わせていた。