2017-04-27 たおやかな風景 ㊵ 葦 奈良新聞連載記事

 

「国が若く、あぶらのように浮き、クラゲのように漂っていたとき、葦が芽を吹くように勢いよく神が現れた。その名を宇麻志阿斯訶備比古遅神(うまし-あしかび-ひこぢ-のかみ)という」こう語るのは古事記である。
日本は「ひょっこりひょうたん島」さながらに海を放浪していたらしい。そして、日本最古の歴史書に最初に登場する生物の名が「葦」である事も興味深い。

「アシカビ」は漢字にすると葦芽(葦牙)、「カビ」は「黴」と同源で、発酵するもの、芽吹くものを意味する。大地を突き破り勢いよく伸びる葦の芽は、生命力の象徴とされ、堂々万物創世の神の名を飾ったというわけだ。
同じく古事記に「豊葦原瑞穂国」(とよあしはらのみずほのくに)と記述される我が国は、太古の昔から葦や稲穂が豊かに茂る、水辺の景観の美しい国だったのだろう。
ところで、葦をアシともヨシとも呼ぶのは、アシは「悪し」に通じ縁起が悪いとされ、ヨシと言い換えられたという経緯がある。
中が空洞で軽くて丈夫な葦は、古くより葦簀(よしず)や茅葺屋根の材料として使われてきた。茅の中でも葦は断熱や保温に優れ、特に耐久性においては群を抜いているという。
日本では神の名や国の古称にまでにその名を刻み、古くより暮らしの中に活かされてきた葦は、西洋ではどんな存在なのだろうか。

チャイコフスキーのバレエ音楽『くるみ割り人形』の第二幕、クララが魔法のお城で観た妖精たちの多彩な踊りの中に「葦笛の踊り」という曲がある。物語はよく知らないという人でも、このメロディには聴き覚えがあるのではないだろうか。
この曲は、白い犬でお馴染みのテレビCMに起用され、たちまち日本中に広まった。改めて聴くと、何と不思議な曲だろう。軽妙でどこか妖しいこの笛の音は、確かに一度聴いたら耳に焼き付く。そういう意味では、この選曲は成功なのだろう。
木管楽器の祖先は葦笛だと言われている。その振動体であるリードは葦の英名reedに由来するもので、オーボエ、クラリネット、サクソフォーンなどの木管楽器のリードは、今でも葦から作られている。
リードを作るための葦を、わざわざ南フランスまで買いに行くオーボエ奏者の話を聞いたことがある。南フランスには葦の茂る池や沼がたくさんあるそうだ。葦はラテン語でカンナ、南フランスの都市「カンヌ」は、葦の生い茂る沼地が広がっていたことからこの名が付けられたという。どうやら、フランスと葦との歴史は深そうだ。
「人間は考える葦である」あまりにも有名なこの言葉を残したのは、フランスの哲学者ブレーズ・パスカルである。人間は葦のように弱い存在であるが、思考するという偉大な能力で無限の力を発揮することができるのだと言う。
フランスの詩人、ラ・フォンテーヌの寓話『オークと葦』では、川辺で風に揺れる弱い葦をバカにしていた傲慢なオーク(樫の木)は、あるとき強風で根こそぎ倒れてしまい、葦は自らしなって根を守り、生き続けた。
材料としては優れた性能を誇る葦も、西洋文学の中では弱いものの象徴として扱われている。しかし、ただ弱いわけではない。弱いぶん知恵を働かせる。弱いけれど柔軟さや粘り強さがある。嫋(たお)やかに生きる、そんな葦を称賛しているのだ。

それにしても葦は驚くほど粘りが強い。枯れているのに、折れ曲がっても手では切れない。1本の葦を取るのに思いがけず時間がかかった。
池の畔で枯葦と格闘しているすぐ側を、一羽の鴨が通り過ぎた。見ると、鴨の周りには葦がいっぱい芽を吹いている。鴨も緑の葦原が待ち遠しいのだろう。
帰り道、おじいさんに声をかけられた。女が4mもの棒を片手に前から歩いてくるのだ、声も掛けたくなるだろう。私が近寄ると、おじいさんの犬は後ずさりした。
「えらい長い棒ですなあ」
「大渕池の葦なんですよ。葦ペンでも作ろうと思って」

その葦は我が家の軒に立てかけられた。ひ弱いゴーヤの助っ人として。