2017-05-12 たおやかな風景 ㊶ アーケード街のツバメ 奈良新聞連載記事

アーケード街のツバメ

 

「去年主人が亡くなって、砥ぎは他の方にお願いしているんです。少し日にちがかかりますが、それでもよろしかったらお預かりします」
主のいなくなった店で、独り店番をするおばあさんの姿がいたたまれない。昔ながらのショーケースに、包丁やハサミを並べただけの無駄のない設えには相変わらず背筋が伸びるが、明らかに以前のような凛と張り詰めた空気がなくなっている。

下御門商店街の「菊一文字」の暖簾を初めてくぐったのは5年前のこと。結婚した時に叔母にもらった包丁の柄がガタついてきた。刃も砥いで砥いで随分小さくなっていたが、30年余り使ってきた愛着のある包丁である。何とか修理できないものかとここを訪れた。
店番のおばあさんが、栗の皮を剥く手を休めて対応してくださった。持ってきた包丁を、鞄から取り出そうとした時、奥の暖簾がまくれて男性の顔が覗いた。
気難しそうなおじいさんの登場に、私は一瞬たじろいだ。「この人にあんな包丁を見せたら、使い方が悪いと怒られるのではないだろうか」そんな心配もよそに、おじいさんの顔は消えていた。
おばあさんと1時間近く話しただろうか、傷みが酷くて修理は無理ということだったので、思い切ってちょっと贅沢な包丁を購入した。今からまた20年も使えば安いものだと、自分に言い訳した。それ以来、その包丁はここへ持ってきて、おじいさんに砥いでもらっていた。

「若い人には可哀想ですわ。こんな店では食べていかれしませんしね…」
おばあさんの口から漏れた言葉は、自分に言い聞かせておられるようにも聴こえた。後継者はおられないそうだ。三代続いた100年の老舗の暖簾はどうなるのだろう。
東向き商店街、餅飯殿商店街、そして下御門商店街と続いているアーケード街、近鉄奈良駅側を入口と考えると、下御門商店街は一番奥ということになる。少し前まではいつ来ても閑散としていたが、最近は海外からの観光客や、先の「ならまち」を訪れる観光客が増えて、賑わいを取り戻しているように見える。
しかし、私の記憶の中のアーケード街の賑わいとは少し趣が違う。こ洒落たカフェやお土産屋さんが並んでいたわけではなく、そこには生活の全てが並んでいた。

昭和40年前後の約10年間、京都伏見の納屋町アーケード街付近の商店街は、もっぱら我が家の台所であった。人が溢れるアーケード街の光景を、焼き魚やコロッケの匂い付きで、今も鮮明に思い出すことができる。
先日、母を誘って納屋町商店街を訪れた。伏見城の城下町として町が発展していく中で、納屋町は、明治には早くも「鉄柱アーチ型全覆式日覆い」を完成させ隆盛を極めていたという。
そんな歴史を誇るアーケード街にも、容赦無く時代の波が押し寄せていた。アーケードも新しくなり、近代化が進んでいるが、活気がない。当時のお店の多くが無くなっていた。やはり大型スーパーマーケットの進出の影響だろうか。途中、遠目に見た、見慣れたスーパーマーケットの看板のことを思い出していた。
主婦現役時代、毎日のようにここに通った母への親孝行のつもりだったが、返って寂しい思いをさせてしまった。

砥ぎ上がってきた包丁を受け取りに、観光客で賑わうアーケード街をぶらぶらと歩いていた。すると、どこかから甲高い鳴き声が聞こえた。ツバメだ。今年もこのアーケード街にツバメが戻って来た。夫婦のツバメなのだろう。ヒナを迎える準備に忙しそうに飛び回っている。
自然と隣接したアーケード街は、餌に恵まれ、風雨を凌げ、人通りが天敵のカラスなどから守ってくれる。電灯の温もりも、まだ夜の冷えるこの時期には丁度いい塩梅だ。子育てにはうってつけの場所なのだろう。
夜の早い古都の静かなアーケード街、淡い電灯のそばに巣を作る。何という知恵だ。はるばる2000km~3000kmの海を越えて、また同じ所に戻って来る。なんという行動力だ。
人間にも、あのツバメたちのような知恵と行動力があれば…。