2017-05-26 たおやかな風景 ㊷ 茨の道 奈良新聞連載記事

茨の道

 

大きな国と小さな国が肩寄せ合う国境。春には野ばらが白い花を咲かせるその国境に、それぞれの国から兵士が一人ずつ見張り番として派遣された。大きな国の老人兵と小さな国の青年兵はいつしか仲良くなった。平和で穏やかな日々が続いていたが、両国間で戦争が起こり、二人は突然敵同士になる。青年は戦場に行き、老人はひとり国境に残される。やがて野ばらは枯れ、青年も…。
子どもの頃に読んだ小川未明(びめい)の『野ばら』を読み返し、改めて、隣国同士で争う悲しさを思う。国境に咲く花に、なぜ未明は野ばらを選んだのか、そのわけが、今やっとわかったような気がする。
「だれが植えたということもなく」という物語の中の野ばらは、おそらく野生種の、俗に茨と呼ばれるものだろう。
茨とは、棘のある野生のバラ属の総称で、主にノイバラのことを指して言う。その歴史は古く、万葉集にもその名前が登場する。登場すると言っても、萩や梅が100回以上であるのに対し、茨の登場はわずかの2回。しかもそのどちらもが、ロマンティックなものでも、美しい自然を詠ったものでもない。生息の長さと同じだけ、敬遠されてきた歴史をもつ、哀れな茨である。
その一つがこれである。
「道の辺の茨(うまら)のうれに延(は)ほ豆のからまる君をはかれか行かむ」(丈部鳥『万葉集』12巻-4352)
道のほとりの野茨の上に這う野豆のように、私に絡みついて別れを惜しむあなたを、剥ぐようにして私は行くのだろうか―最愛の妻を振り切って、今生の別れになるやもしれぬ、防人としての出で立ちの折に詠われたものだ。にじみ出る哀切の念が痛々しい。
この先、この夫婦はどんな道を歩んだのだろうか。

野ばらと言えば、やはりこれだろう。シューベルトなどでお馴染みの『野ばら』、ゲーテの詩による歌曲である。実は、この詩には、ゲーテ自身の恋が秘められているという。
友人と共にゼーゼンハイムという村に遊びに行った折、ゲーテはそこの牧師の娘フリーデリーケと恋に落ちる。しかしゲーテは、結婚を望む彼女との恋を、無情にも断ち切ってしまう。
童はみたり 野中の薔薇
清らに咲ける その色愛でつ
飽かずながむ 紅におう野中の薔薇
手折りてゆかん 野中の薔薇
手折らば手折れ 思い出ぐさに君を刺さん
紅におう野なかの薔薇
(訳詞 近藤朔風)
「童」とはゲーテ自身、そして「野中の薔薇」は恋人フリーデリーケのこと。なるほど、事情を知って読むと、愛らしい旋律とは裏腹に、歌詞にはチクリと棘がある。
この中に登場する薔薇は、ロサ・カニーナと呼ばれる品種で、広くヨーロッパなどに自生する野生種の薔薇だそうだ。花はほんのり赤みを帯びていて、イヌバラとも呼ばれる。この名は英名の「dog rose」に由来し、「犬の薔薇」すなわち「無価値な薔薇」という意味が込められているという。
可哀想なフリーデリーケ。ゲーテに捨てられた彼女は、どんな道を歩んだのだろう。生涯独身を通したというが…。

小学校、中学校の敷地の裏に、車一台がやっと通れる細い道がある。その途中に、茨が荒れ地を覆って薮を作っているところがある。ちょうどその薮の辺りで、この道は傾斜の急な長い坂道となる。
転ばないように足を踏ん張りながらゆっくり下り、帰りは、足元をしっかり見て、一歩ずつゆっくり上る。他に道があるのに、少し近道であるこの道を、仕事場へ、そして子どもたちの学校へと、何十年も歩き続けてきた。
長い人生には色んなことがあった。特に子育ての頃には思い悩むことも多かった。辛い思いを抱えて、時に涙を落としながら歩いた茨の道である。
この前はまだ堅い蕾だった茨が、今日、五月の眩しい陽光をいっぱいに浴びて、一斉に小さな白い花を咲かせ、辺り一面にやさしい香りを漂わせていた。
栽培種の薔薇とはおおよそほど遠い地味な花であるが、この花が茨の花ゆえに、愛おしい。

この道は 茨の道
しかし茨にも ほのかにかおる花が咲く
あの花が好きだから
この道をゆこう (星野富弘)