2017-06-09 たおやかな風景 ㊸ 想いの雨 奈良新聞連載記事

想いの雨

 

和菓子屋さんの店先にも、雨の季節がやってきた。白と紫のそぼろに散りばめられた琥珀糖の雨のしずく、涙に愁う女性にも見える紫陽花一輪、目と舌で堪能させていただいた。
これほど雨の似合う花はないだろう。紫陽花は、雨が似合う日本を象徴している花なのかもわからない。己が花の盛り、雨の季節に「和菓子の日」なるものを置いているところなど、さすが雨の女王たる花の風格である。
ひと雨ごとにその色を深める紫陽花、雨露に濡れた瑞々しい花びら、洗練された職人技と、繊細な和の食材との響演に、ため息がもれる。移ろう季節の中で磨き上げられた感性と、元来の手先の器用さ、和菓子そのものが、日本人を象徴しているのかもわからない。
古来より、この島国の雨の季節に寄り添いながら、丁寧に暮らしてきた日本人である。洒落た小物、粋な設え、目にも美しいお料理などで雨の暦を彩る技は、世界でも卓越しているものであろう。
それは、雨の日をとことん愉しむ雨女の技にも、どこか通じるものがある。

雨の日には例えばこんな音楽、「雨の歌」のニックネームで親しまれるブラームスのヴァイオリンソナタ第一番作品78。
生涯独身であったブラームスであるが、実は彼にはずっと慕い続けていた女性がいた。クララ・シューマン、作曲家ロベルト・シューマンの妻で、当時、ヨーロッパでも屈指の女流ピアニストである。
すでに音楽家としての地位を築いていたロベルトは、若き音楽家ブラームスの才能を見出し世に送り出した恩人である。よりによってその恩人の妻、しかも自分より14歳も年上の女性に恋をしてしまったのだ。
誕生日にブラームスからプレゼントされた『雨の歌』(作品59-3)をとても気に入っていたクララのために、ブラームスはこの歌の旋律を織り込んで、新たにこのヴァイオリンソナタを作りクララにプレゼントした。この曲は思慕の念を音楽で綴った、想いの人への恋文であった。
生真面目で不器用なブラームスも、音楽の中では心解き放たれたのだろう。そのヴァイオリンは、叶わぬ恋の想いを雨の歌にのせて、天にも昇るような声で歌い上げている。

秋篠川の桜並木の土手に差しかかった辺りで、雨粒がこぼれてきた。久しぶりの雨に、土は盛んに雨の匂いを放ち、草木は気持ちよさそうに葉を伸ばしている。田んぼではカエルの聖歌隊が雨の歌を輪唱してご機嫌である。それに合わせて、雨粒も水面で輪踊りを見せる。
心地よい秋篠川のせせらぎとも平城中山付近で別れ、秋篠町の中に入っていく。入り組んだ細い道の脇の「歴史の道」の道標辺りまで来ると、すぐ先に見える森が秋篠寺である。土塀に添って南門の方へまわる。
門が切り取るカンバスの絵の中に足を踏み入れると、そこは静謐な空気に包まれた神秘の森。樹々の足元一面には、上質な苔の絨毯が敷き詰められている。瑞々しい光沢を放ちながら波打つ様は、女神のまとう絹の衣がつくるドレープに見まがう艶やかさである。
雨の中では小鳥たちも声をひそめ、雨はやわらかな苔に吸い込まれて音を立てない。静まり返った緑深い森を抜けると、突然空が抜け、おおらかな奈良の時代の息吹を漂わせる本堂が目に飛び込んでくる。
本堂の小さな入り口をくぐると、仏像たちがささめき合う声に一瞬耳を疑ったが、それは、屋根を打つ雨の音で、その音にろうそくが小刻みに炎を踊らせている。伎芸天は、その仄かな灯りの中にひっそりと佇んでおられる。
愁いを帯びた美しいお顔は奈良の時代のもの、首元から下の優美なお体は鎌倉時代に補修されたものという、いわくつきのお方である。
首を傾け、腰をくねらせた艶やかなお姿は、み仏というより、高貴な女性の姿を連想させる。ひょっとしたら、補修にあたった仏師の脳裏に、想い焦がれる女性の所作がよぎったのではないだろうか。

ブラームスの雨の歌が聴こえる。
降りしきる想いの雨の中に…