2017-06-23 たおやかな風景 ㊹ いずれ菖蒲 奈良新聞連載記事

いずれ菖蒲

 

今年も、雨の帝の前に紫の姫たちがずらりと居並んだ。ここ大和民俗公園の花菖蒲園でも、女たちが静かに美を競い合っている。さて軍配はどの姫に…水車の音が、その緊迫感をあおり立てる。
粋な着物を着こなす女性を彷彿とさせる江戸錦。その上品な紫は、江戸紫というより二藍に近い。やや小ぶりな花には無駄がなく、凛とした立ち姿は、大勢の美女たちの中でも、ひときわ垢抜けている。決して口にはしないが…。

古来より、日本人は、曇天をあでやかに彩るこの花に心奪われてきた。舞うように花弁を変化させながら咲くその花には、時として、魔性の匂いを感じる。
「我が恋は人とる沼の花菖蒲(はなあやめ)」、底なし沼に咲く花菖蒲に恋をしてしまったと言う泉鏡花、京紫の美人妻にでも恋をしてしまったのだろうか。
一方、妻のいる男に恋されて困っているのは、女神ヘラの侍女イリス。ヘラの夫ゼウスは、美しいイリスに何度も言い寄るが、イリスは固く拒み続け、そのことをヘラに打ち明ける。そして、ゼウスから自分を遠ざけてほしいと懇願する。ヘラはイリスの清らかな心に感動し、イリスに虹色の首飾りと大空を渡る翼を授け、神酒を三滴ふりかけた。その時、イリスの身体から一滴の神酒が地上にこぼれ落ち、そこに美しい花が咲いた。その花がIris、フランス語・イタリア語読みでイリス、英語読みならアイリス、日本のアヤメである。

先月、イタリアの作曲家マスカーニのオペラ『イリス』を鑑賞した。19世紀末のヨーロッパで流行したオリエンタリズムの流れを汲むもので、このオペラに触発されて、プッチーニはあのオペラ『蝶々夫人』を書いたという。つまり『イリス』はジャポニズム・オペラの先駆けとなった作品である。
舞台は江戸、盲目の父親と暮らすイリスが、騙されて遊郭に売られていくという物語。純真で美しい日本の娘・イリス、好色な金持ちの男・大阪、吉原の女衒(ぜげん)・京都、奇妙な名前の登場人物が、吉原、富士山麓など、想像上の日本を舞台にエキゾチックな物語を展開していく。
二幕に登場する通称「蛸のアリア」は、葛飾北斎の浮世絵『蛸と海女』にインスピレーションを得たものだという。故郷を偲び、この美しい歌を涙ながらに絶唱するイリスの背後には、紫紺のアヤメと北斎の絵が大きく映し出された。
当時の西洋の人たちが抱いていた日本のイメージには苦笑するが、日本女性を、他でもないIris・アヤメに重ねたところなどは、なかなかの審美眼である。

その昔、源頼政が怪獣・鵺を退治した褒美に菖蒲前(あやめのまえ)という美しい女性を賜ることになった時のこと。12人の女性を並べられ、この中から菖蒲前を選ぶように言われたが、どの女性も優劣つけがたく美しく選ぶことなどできない。そこで頼政は、
「五月雨に沢べのまこも水越えていづれ菖蒲と引きぞわづらふ」
(雨でかさの上がった水の中に隠れてしまい、どれが菖蒲か引き迷ってしまう)こう詠った。これが、慣用句「いずれ菖蒲か杜若」のもとになっているという。
厳密な「菖蒲」以外の種別である「花菖蒲」や「杜若」も、総じてアヤメと呼ぶ習慣が一般的に広まっているのも、これらの花の見分けが難しいからなのだろう。
余談であるが、この頼政という人、女の扱いを実によく心得ていらっしゃる。窮地をしのぐあのお歌は、あっぱれである。

「最後のお花になりそうだから見にいらして」うれしいお電話をいただいた。「折鶴」の名は、この花を愛された光格天皇(1771年~1840年)の命名によるもの。ひっそりと長い時を生き抜いてきた貴重な品種だという。ほんにその花の姿は、千代紙の折鶴そのものである。
「不思議な花でね、蕾のころ一旦深く頭を下げたかと思うと、ぐいっと立ち上がってこうして花を咲かせるんですよ」そのお話を聴きながら、踊りを舞う女性の姿を想像していた。白地に桔梗紫の着物の、初々しい舞妓さんのような菖蒲…いやこれは杜若であった。

「いずれ菖蒲か杜若」いやはや、紫の姫たちの扱いは難しい。