2017-08-25 たおやかな風景 ㊽ シルエット 奈良新聞連載記事

シルエット

 

夕闇とは、日没から月の出までの暗さのこと。月の明るさを感じることができた時代に生まれたこの言葉の意味も、月の出を待たずに街の灯が瞬き始める今となっては、空しいものとなってしまった。
一条通り、法華寺を過ぎた辺りで、目の前の風景が突然開ける。右手に水上池、左手に大極殿、そしてその向こうに朱雀門。広漠としたこの眺めが好きで、特に夕刻の帰りはついこの道を走ってしまう。
真夏日の夕暮れ、火照る風景をなだめるように、夕闇がゆっくりと辺りを包み込む。茜色の空に浮き上がる切り絵のような風景に、思わず車を止めて外へ飛び出した。
時間が経つほどに、風景は色を奪われ、凹凸を奪われ、ついに輪郭を残すだけの黒く塗りつぶされたシルエットになった。
夜の闇に沈みゆく宮廷跡のシルエットに、「咲く花の匂うがごとき」繁栄をみせた平城(なら)の都の終焉の時に思いを馳せながら、帰路についた。

うた語りの公演で全国を共に歩いてくれたピアニスト木口雄人氏が、留学先のウィーンから一時帰国、昨夜はベートーヴェンの「皇帝」を聴かせてくれた。
ベートーヴェンは生涯に5曲のピアノ協奏曲を作曲しているが、中でもこの5番は、最も演奏される機会が多い曲である。第一楽章冒頭、オーケストラとピアノの華麗な対話などは、恐らくどこかで耳にされたことがあるだろう。
しかし「皇帝」と言えば、何と言っても静かに流れる第二楽章が際立って美しい。光に満ち溢れる一楽章の幕が下りると、一転、我々は類まれなる仄暗い美の世界に誘われる。
一筋の月明かりのごとく登場するピアノの旋律が、人間ベートーヴェンの輪郭をゆっくり描き出す。得も言われぬ神々しさ、そこはかとなく漂うロマンティシズム、夕闇に浮かび上がるそのシルエットは、肉体も言葉も、余計なものが全てそぎ落とされた、ベートーヴェンの魂そのものであるような気がしてならない。
作曲家の魂にぴったりと寄り添い、その輪郭をなぞるように、一音一音全身全霊で紡ぎされる音に、異国の地で日々鍛錬を積む若者のひたむきな姿が重なり、涙が頬を伝った。

信貴山の麓、風の神として古くから信仰を集める龍田大社のすぐ近く、長閑な田園風景を借景にひっそりと佇む華倭里(かわり)のギャラリーを訪ねた。
迎えてくれたのは、垣本麻希さんのいつもの笑顔、そして、先日見たばかりの夕闇に浮かび上がった平城宮跡のシルエットである。
彼女が切り取った月明かりのシルエットたちは、祈りの都、古都奈良の魅力が仄暗さの中にあることを、改めて教えてくれる。
「一日の終わりに、この灯りで、心を癒してもらうことができたら」彼女はそう語る。
夜は心落ち着く時間ではあるが、ふと淋しい時間でもある。ともすれば落ち込んで行きそうな心に、そっと寄り添うような灯りを…麻希さんがそんな風に願うのは、彼女もまた、心の闇の淋しさを知っている人だからなのかもわからない。
行燈に浮かぶ奈良のシルエットには、つくり手の心のシルエットがそっと折り重ねられている。華倭里の灯りが多くの人々の心を癒してくれる所以である。

自然がつくるものは大抵、シルエットだけで識別することができる。トマトと桃を間違える人はまずいないだろう。100人のシルエットの中から自分の親を見つけるのに、いくらも時間は要らないだろう。そう、人間だって、シルエットだけでその人を識別することは可能なのだ。シルエットは、シンプルに、正直に、そのものを捉えているから。
シルエットは、実はルイ15世に仕えた財務大臣ティエンヌ・ド・シルエットという人の名前に由来する。フランスが厳しい財政難の折、シルエットは、人物の記録のための肖像画を、黒い紙を切り抜いたもの変えるなど、とことん無駄を省き、厳しい節約を人々に要求した。

「俺なんかいつだって無駄のないシルエットで生きてるさ」
我が家の黒猫がスレンダーな体をくねらせながら、悠々と私の前を横切った。