2017-10-27 たおやかな風景 52 栗のご馳走 奈良新聞連載記事

栗のご馳走

 

実家の台所に火が点いた。ガスレンジの炎が踊り、鍋は賑やかに音を立て、炊飯器は勢いよく水蒸気を吹き上げている。この匂いは栗ご飯だ。
父の葬儀から十日目、毅然と蝶に結ばれた母の背中のエプロンの紐が「もう大丈夫」と告げている。
ほどなく母が真鋳の両手鍋を抱えて現れた。鍋の中では、湯上りの栗坊たちが、気持ちよさそうに湯気を上げている。
栗は子どもの頃からの大好物である。栗のご馳走を食べる度に、この季節に生まれて良かったと思ったものだ。年中食べられる外国産の甘い栗とは違い、この時期にしか食べられない、ほんのり甘いほくほくの栗が、今でも私の秋一番のご馳走である。

瓜食(は)めば子ども思ほゆ 栗食めばまして偲(しぬ)はゆ
いづくより来りしものそ目交(まなかひ)に もとなかかりて安眠(やすい)しなさぬ

「瓜を食べれば子どものことが思われ、栗を食べればいっそう偲ばれる。いったい子どもとは、どこからやってきたのだろうか、目の前にちらついて安眠させてくれない」万葉集(5巻)に収められている山上憶良の歌である。
728年頃、憶良は、大陸との外交の玄関口として活気にあふれていた筑前の大宰府に赴任する。そこで律令体制下の重圧にあえぐ民衆の生活を目の当たりにした憶良は、貧困や老い、子への愛などをたくさん歌に詠んだ。万葉集の中でも異彩を放つ、人生の哀歓を詠う憶良の歌は、遥か千年の時を越えて、我々の心に響く。
憶良はとても子煩悩だったそうだ。確かにこの歌からは、子を思う親の深い愛が伝わって来る。しかしどうだろう。憶良が大宰府に赴任したのは67歳のころ、幼い子を家に残してきたとも思えない。ある時、栗を食べた憶良は、ふと自分の子どものころを思い出し、親を偲んで詠ったのではないだろうか。
親思う心と子思う心は表裏一体であることを改めて思う。

1838年、シューマンは『子供の情景』というピアノ曲集を書いた。繊細な子供の心の動き、子どもの日常の様子を、スケッチ画のようにピアノで描写した、シューマンの才能が遺憾なく発揮されている傑作である。
子ども好きのシューマンは、愛妻クララとの間に8人の子供に恵まれた。しかし、シューマンが結婚したのは1840年のこと、ここにスケッチされているのは、彼の子どもたちではない。
結婚する前に、シューマンはクララに宛てた手紙の中にこんなことを書いている。「以前あなたは、ぼくがときどき子どものように見えると書いたことがありましたね。これは、そのあなたの言葉への、音楽による返事のようなものです」自分自身が子どもに戻って、30曲ほどのおどけた小さな曲を書き、その中から13曲を選んで「子供の情景」という題名をつけたのだと説明した。つまりこの音楽が描く情景は、大人のシューマンが子どもの頃の心情を思い出しながら描いた、ノスタルジックな子どもの世界である。
13曲の中心に置かれた7番の『トロイメライ』は、「夢」と訳されることが多いが、「Träumerei」とはドイツ語で「夢想に耽ること」というような意味で、子どもが夢を見ている情景…というほど単純なものではない。
シューマンが遺した全ての曲の中で恐らく最も親しまれているこの曲、哀愁を帯びた極めて美しい旋律を歌う、3分にも満たないこの小さな曲の中に、音楽を愛した母親と過ごした子どもの頃のシューマンの魂が、眠っているような気がする。

昨日の午後、雨が上がったから栗を拾いに行こうと主人が言い出した。主人が趣味で始めた畑の奥の栗の木が、たくさん実を落としているそうだ。長靴着用とのこと、一体どんなところなのだろう。
棚田の石垣をよじ登り、長雨でぬかるんだ畦道をおぼつかない足取りで歩いていると、「あそこ」と主人が指を差した。目を上げると、奥の林から一本の大きな木が田んぼの上に張り出している。
雨に浸かった刈田の中で、泥だらけの栗拾い。帰り道、丸々太った栗を選んで母に届けた。

今日は、親思う子思う、栗のご馳走の誕生日。

 

※奈良新聞に連載中の「たおやかな風景」が書籍化され、奈良新聞社より出版されました。ぜひ、北井勲さんの美しい写真と共に手に取ってご覧ください。全国の書店、ネット書店で購入していただけます。