2017-12-08 たおやかな風景 55 最後の真珠 奈良新聞連載記事

最後の真珠

 

「おばあちゃんになるよ」
電話の向こうの息子の顔が目に浮かんだ。もちろん孫が生まれることはうれしい。しかし、幸せそうな我が子の姿が何よりもうれしい。
その夜、久しぶりに本棚の童話の表紙を開いた。

昔、ある裕福な家に男の子が生まれた。赤ん坊上には、真珠が散りばめられたレースが広げられていた。その真珠は妖精たちがめいめいに持ってきた幸せの贈り物で、それぞれ『健康』『富』『友』『愛』など、人間が欲しいと思うものが詰まっている「幸せの真珠」であった。
この家の守り神である家神様は、あと取りの子どもに全ての幸せが与えられてご満悦。ところが、「まだ贈り物を持ってきていない妖精が一人います。最後の真珠が足りません」と、子どもを守る子守りの神様が言う。
慌てる家神様を「いつか必ずやってきますよ」と子守りの神様はなだめるが、この家に足りないものがあることが気に入らない家神様は待っていられず、子守りの神様に頼んで、最後の妖精を探しに出かけた。
二人の神様が辿り着いたのは町外れのお屋敷。暗い部屋の中では、たった今病気で死んでしまった母親のそばで、父親と子どもたちが泣いていた。
「ここには幸せの贈り物を持っている最後の妖精はいませんね」と家神様が言うと、「いいえ、あそこにいますよ」と、子守りの神様は部屋のすみの椅子を指さした。いつも母親が子どもたちを膝に乗せて歌を歌っていた椅子に、見知らぬ女の人が座っている。
「あの人が最後の妖精、悲しみ妖精です」と子守りの神様が言うと、悲しみの妖精の目からひとしずくの涙がこぼれ落ち、涙の粒はみるみるうちに七色に輝く真珠になった。
「これは悲しみの真珠です。人は悲しみを知ると本当の幸せがわかるようになり、自分にも他の人にも優しくしてあげられるのです。その人の魂を天国に導いてくれる、人生になくてはならない最後の真珠です」
そう説明すると、子守りの神様は「悲しみの真珠」を手に乗せ、家神様と共に子どもの眠る家へと帰っていった。
これは、デンマークの童謡作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンの『最後の真珠』という物語である。200話余りもあるアンデルセンの童話の中でも、あまり知られていない物語であるが、私はとても好きなお話の一つだ。

貧しい靴屋の子として生まれたアンデルセンが、「物語の王様」になるまでを描いた劇団四季のミュージカル『アンデルセン』が隣町の木津川市にやってきた。
アンデルセンの周りは、目を輝かせて彼の話を聴く子どもたちでいつもあふれていた。彼は、貧しさや叶わぬ恋など、自分の人生のほろ苦さを言葉に乗せ、『親指姫』『みにくいアヒルの子』『人魚姫』『裸の王様』『マッチ売りの少女』などの、今も愛され続ける美しい物語を生み出した。アンデルセンの物語はどれも、必ずどこかで「悲しみの真珠」がやさしい光を放っていて、それは、人々の心にあたたかな火を灯してくれる。

真珠は、古来より強い霊力があり、健康、長寿、富、円満などの幸せをもたらすものとされてきた。家族や友など、大切な人に対する愛情の象徴である一方、「月の涙」などとも呼ばれ、涙の象徴でもある。真珠がそうであるように、幸せと涙は表裏一体なのだろう。

ミュージカルの帰り道、ふとあの作曲家のことが頭をよぎった。そういえば彼は、ちょうどアンデルセンが生まれたころから耳が聴こえなくなり始めた。
聴力を失うという、作曲家にもたらされたとてつもなく大きな「悲しみの真珠」。彼は己に与えられたその「最後の真珠」で、九番目にして最後の交響曲、前代未聞の音楽を書き上げた。その最終章の「歓喜の歌」で、感謝の念と永遠の平和を高らかに歌い、そして、ベートーヴェンは人生の幕を引いた。

「平成」の時代もいよいよ「最後の真珠」の出番が近くなった。
どうかこの時代の幕引きには、平和の鐘が鳴り響く中で、壮大な「歓喜の歌」がとどろきますように。