2017-12-22 たおやかな風景 56 岸辺にて 奈良新聞連載記事

岸辺にて

 

小春日和の休日を楽しむ家族連れ、ジョギングをする人、のどかな風景が広がる河川敷。その向こうに見える林立する高層ビルは、近年の開発で豹変する武蔵小杉の街である。
多摩川橋梁を走り抜ける新幹線の車窓から見たこの一瞬の風景が、妙に心に残った。

ちょうど40年前、『岸辺のアルバム』というTVドラマがあった。山田太一が原作・脚本を手がけたTV史に残る不朽の名作といわれる作品である。
番組のオープニングには、台風で氾濫する多摩川に崩壊した民家が流されていく実際の映像が使われていた。この災害からヒントを得て『岸辺のアルバム』は生まれたのだという。
淡い水彩画を連想させるタイトルとは裏腹に、ドラマはどろどろとした人間模様を描いていく。家庭を顧みない仕事人間の夫、それぞれ好き勝手なことをしている長女と長男。孤立する家族の狭間で、妻は他の男性と一線を越えてしまう。
「一線を越える」など今では珍しくもない筋書きであるが、その当時としては、衝撃的な展開を見せるホームドラマに、毎週釘付けになっていたことを思い出す。今でも、ドラマの主題歌ジャニス・イアンの『Will You Dance?』 を耳にすると、何やら胸がざわざわとしてくる。
『岸辺のアルバム』を振り返って山田太一はこう語る。
「幸福の条件だと思っていたものが、ひとつひとつ満たされていくと、果たしてそれは僕らが本当に願っていたものだったのだろうかという気がしてきたのです」
あのドラマの中の家族は、澱(おり)を溜め込んだ戦後社会の象徴だという。一見幸せそうな家庭に知らず知らずのうちに蓄積される澱。ある日、その澱は、家族が営々として築き上げてきたモノ、欲を満たしてきたモノ、何もかもを巻き込んで一挙に溢れだし、家庭を崩壊し、家ごと川の濁流にのみ込まれてしまう。
あのドラマが、社会の在り方に警鐘を鳴らしたのは戦後32年目のこと。あれから40年の月日が流れた。果たしてあの鐘で、社会の流れは少しでも変わったのだろうか。

ゴミが有料化になった地域に住む友人たちは、異口同音にこう言う。「モノを買うことに慎重になった」と。私のように、溜め込んだモノを処分するのに何度も痛い思いをした女性たちは、「もう軽はずみにモノは買うまい」と決心している。
「国民の購買意欲を高める」と政府は気やすく言われるが、国民は政府の方々が思われる以上に「買う」ことに慎重になっている。それは、老後が不安だからお金を使わないなどという理由だけではない。多くの人が、質の良い、数少ないモノの中で、快適な暮らしをしたいと願うようになってきたからだ。
買っては捨てるという時代は間もなく終焉を迎えるだろう。安く買えても、捨てるのにお金がかかるのではたまらない。それどころか、捨てたものが自然を破壊するのだから事態はもっと深刻だ。
インターネットで簡単に手に入るモノの価値も下がるだろう。例えばお土産や贈りもの。全国どこからでも、誰でも簡単に手に入れられるものを、わざわざ選びたくはない。
人々の興味は、簡単に手に入るものから、簡単には手に入らないものへ、みんながやっていることから、みんながやらない自分らしいことへと移り変わってきている。
社会の流れの中で見失ってしまったモノ、うっかり手放してしまった大切なモノに、多くの人が気づき始めているのではないだろうか。

目まぐるしく流れた一年が終わろうとしている。その流れの景観は決して美しいばかりではなかった。淀んだり、ぶつかり合ったり、時に岸をえぐり取るような濁流も見せた。
自然の中では、濁流は放っておいても元の穏やかで澄み切った水に戻っていくが、社会の流れはそうはいかない。いつまでも川底を見せないままに、行く先も見えないままに、どんどん流れ続ける。

流れの岸辺に上がってみよう。ちょっと休けいだ。
「大切なモノがちゃんと見えている?」
そう自分に声をかけながら、さあ、家と心の大掃除だ!