2018-01-12 たおやかな風景 57 いのちの時間 奈良新聞連載記事

いのちの時間

 

一番乗りの時計が3時を打った。心地よい残響を感じながら手元の時計に目を落とすと、3時には7分ほど早い。
古時計だけでも50個はあるだろうか。これが一斉に鳴り出したら、さぞかし…その心配はなかった。100年以上も生きていると、早かったり遅かったり、鳴らなかったり、時計もみな気まぐれになるらしい。
3時をとうに過ぎて、鈴(りん)のような透き通る音を三つ打ったのは、推定御年180歳、この店一番のご長老だ。
枚方からの帰り、ちょっと道草。しきりに時間を気にするわたしに「まあゆっくりしていきなさい」とご長老。
丸太小屋の長い3時。思いがけない時間をもらった。

その昔、瀬戸内からやって来た人々や大陸の新しい文化は、大阪湾、淀川、そして支流の天野川を遡り、その上流沿いの磐船街道を通って大和に入ってきたという。河内と大和を結んだ古代のこの街道は、今も大阪と奈良を結ぶ重要な道として現役である。生駒山系の北端、森の中のこの街道沿いに「おじいさんの古時計」はある。
30年前、マスター手作りの丸太小屋に、第一号の時計が掛けられた。「僕のひいおじいさんが買ってきた時計で、おそらく130年ぐらい前のものでしょう」とマスター。まさしく「おじいさんの古時計」であるその時計は、今も丸太小屋の真ん中で時を刻んでいる。
そう、この時計はおじいさんが天国に昇っても止まらなかったのだ。

歌でお馴染みの『大きな古時計』は、アメリカの作曲家ヘンリー・クレイ・ワークが、旅先のホテルの主人から聞いたエピソードにインスピレーションを得て作ったもの。発表されるや否や大ヒットとなった。1876年、アメリカが独立100周年に沸く年のことである。
♪大きなのっぽの古時計、おじいさんの時計…この歌が日本に流れたのは1962年のこと、たちまち国民の間に浸透していった。
言語の違い、字数制限に縛られる中、原詞の雰囲気をそのままに、あの名訳をメロディにはめ込んで見せたは、番組構成作家として活躍していた保富康午である。
♪百年休まずにチクタクチクタク、おじいさんといっしょにチクタクチクタク…おじいさんが百歳まで生きたことを誰が疑っただろう。ところが違ったのだ。原詞で「90年」となっていたものを、響きが悪いからと、保富が「百年」に置き換えたのだ。
日本にやって来て、思いがけず10年のいのちをもらったおじいさんだったが、やはりお別れの時はやって来た。
♪真夜中にベルが鳴った、おじいさんの時計。お別れの時が来たのをみなに教えたのさ。天国に昇るおじいさん、時計ともお別れ。今はもう動かないその時計。

昨年、105歳で亡くなられた聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生が、生涯を通して子どもたちに向けてされていた「いのちの授業」という講演がある。
「いのちってなんでしょう?そう、生きているということですね。では、生きているとはどういうことだと思いますか?そして、いのちはどこにあると思いますか?」こうして先生の授業は始まる。
「いのちはきみたちのもっている時間、生きていく時間、それが、きみたちのいのちです。いのちは一日一日の時間の中にあります」子どもたちは目を丸くして聴いている。
「いのちを無駄にしないということは、時間を無駄にしないということ。昨日から今日までの一日で、自分の時間をほかの人のためにどれくらい使いましたか?きみたちの時間を、きみたちは自分のためにだけ使っていませんか?」大人たちも耳が痛い。
そして、先生はこう締めくくられた。
「わたしの時間は残り少なくなってきましたが、自分の時間をほかの人のために使って、精一杯生きたいと思います」
新しい年の初めに、先生95歳の時の言葉が思い出される。

「チッチッチッチッ…」、森のいのちの鼓動であるかのように時を刻む時計の音が、一瞬、自分のいのちの鼓動と重なった。
限られたいのちの時間を精一杯生きよう。もっと大切に、もっと丁寧に、そして、だれかのために…。