2018-01-26 たおやかな風景 58 土の年 奈良新聞連載記事

土の年

 

その柔らかな革靴は、内側がファーでおおわれ、履き口にあしらわれたミンクファーが、友人の足首を温かく包み込んでいた。
車を運転しない彼女は、暑かろうが寒かろうが、雨であろうが雪であろうが、どこへ行くのもてくてくと歩いて行く。遠く離れた地で独り住まうそんな母を想う、娘さんからのお誕生日プレゼントである。

「今年は車に頼らない」―そう言い切った舌の根も乾かぬうちに、防寒着や傘代わりに車を使おうとする自分と葛藤の日々である。
お昼を過ぎて奮い立って家を出た。寒いはずだ。道端の畑にはまだ白いものが残っている。凍てつく土に霜枯れの大根一本、その傍らで土を耕す人に尋ねた。
天地返しという作業だそうだ。厳冬の季節に、土の表層と深層を入れ替えることで、土中の病原菌を死滅させたり、雑草の根を寒風にさらして枯れさせたり、土を柔らかくする効果があるという。薬に頼らない農作業は、高齢者にはきつそうだ。
掘り返された土の上にいた太いミミズが、夜になってもまだ頭の中でまだ身をくねらせている。ダーウィンはこのミミズが土を耕し、団粒糞で肥沃な土を作ることを発見した。土壌学者でもあった彼は、40年余りかけてミミズと土の実験を行い、ミミズはあらゆる生き物の中で最も重要な役割を果たしている、地球には無くてはならない生き物である、と発表した。
いよいよミミズには頑張ってもらわねばならない。

武蔵野の草のさまざま
わが庭の土やはらげて
おほしたてきつ

1962(昭和37)年の「歌会始」での昭和天皇のお歌である。この年のお題は「土」であった。
この時、日本は2年後に東京オリンピック開催を控えていた。交通網が整備され、次々と競技施設などが建設され、世は正にオリンピック景気、高度成長期の好景気真ただ中にあった。
そんな折の「歌会始」のお題が「土」。経済成長の陰で国土が傷み汚れていくことへの不安、祖国の土への想いが伝わってくる。

混声合唱とオーケストラのためのカンタータ『土の歌』(大木惇夫作詞/佐藤眞作曲)もまた、この年に誕生した。
「農夫と土」「祖国の土」「死の灰」「もぐらもち」「天地の怒り」「地上の祈り」「大地讃頌」の全七章からなるこのカンタータは、人間と土の関わり、土への想い、戦争や原爆の悲惨さ、人間が大地にもたらす悪と大地の怒り、その怒りを鎮める祈り、そして大地への畏敬と感謝の念を滔々と歌っている。
『土の歌』が誕生して半世紀、終曲の「大地讃頌」は、合唱コンクールの定番曲として不動の地位を確立した。学生の頃、授業や合唱コンクールで歌ったという人も多いことだろう。
新旧の入れ替わりが激しい合唱曲にあり、「大地讃頌」はこれからも若い世代に歌い継がれていく貴重な曲である。

大地に生きる人の子ら
その立つ土に感謝せよ
たたえよ土を
母なる大地を
(「大地讃頌」より抜粋)

「大地讃頌」は定番化しても、大地は定番化というわけにはいかない。悪さするモノあれば、形も質も変えていく。
なぜ土に感謝するのか、なぜ大地をたたえるのか。リズムや音程や発声などより、はるかに大きな課題を背負って世に生まれてきたこの曲、指導者は心して向き合わねばならない。

23年前の1月18日、命を繋ぐ食糧を詰め込んだリュック背負って、わたしは神戸の親戚の家を目指して歩いていた。
引き裂かれた大地、波打つアスファルト、壊れたおもちゃのような線路、鳴りやまないサイレンの音、叫び声…世紀末の風景の中を、鎖につながれた奴隷のように、怒る大地に怯えながら歩いていた。
あの日、大地の圧倒的な力の前では、人間はアリとなんら変わりないことをわたしは知った。重過ぎる荷が食い込むあの痛みが、今でもふと肩を走ることがある。

折しも今年は東京オリンピック開催を2年後に控えた年である。世の中はまたオリンピック景気に突入するのだろうか。いや、そちらではない。今年のお題は「土」、土の年にしなければ。足の下の土のことを考える、土の年に!