2018-02-09 たおやかな風景 59 ほろ苦い春 奈良新聞連載記事 

ほろ苦い春

 

趣味の農園の片隅に、フキノトウが小さな頭を出した。凍てつく大地に、やわらかな緑の蕾。ちさき力持ち五つばかりいただいて、ふき味噌を作る。
フキノトウは刻む尻から切り口が黒く変色してくるので、下準備を済ませ、火を点けてから刻み始める。雪平から菜種油の香りが立ち始めるころ、刻み上がったフキノトウを素早く投入する。蕾のうちは灰汁(あく)も少ないので、下茹でなどせず、ほろ苦さも香りも丸ごといただく。大人の味だ。
人間の舌には味蕾(みらい)という味を感じるセンサーがたくさんついていて、それは子どもの頃に発達し、ある時期を過ぎると減少する、大人になるとその数は子どもの頃の半分以下になってしまう、という話を聞いたことがある。
大人の味なんて気取っているが、苦いものが食べられなかった子どもの頃より、単に味覚が鈍感になっただけのことじゃないのか。
味覚のメカニズムも気になるところだが、ゆっくりはしていられない。フキノトウ全体に油が行き渡ったら、味噌、砂糖、みりんを入れ、木べらで丁寧に混ぜながら水分を飛ばす。鍋底が見え始めたら出来上がり。ほろ苦い早春の香りが家中に立ち込める。
冬眠から目覚めた熊が最初に口にするのはフキノトウだそうだ。春一番に顔を出すフキノトウやタラの芽など、独特の苦みや強い香りを山野に自生する有する食べられる植物には、自然界に生きる動物が冬の間に体内に溜め込んだ老廃物や毒素、脂肪などを排出するのに有効な成分をたっぷり含んでいるという。自然の摂理はすごい。
我々人間も自然界に生きる動物だ。冬のなまった体が一番求めているものは、ほろ苦い早春の山菜なのかもしれない。

小雪舞う二月の京都、もう何十年も昔のことである。音楽棟の一室では、三回生後期の声楽実技テストが行われていた。
木造校舎の教室の中では石油ストーブが激しく炎を揺らし、廊下の寒さと打って変わって息苦しいほど暑い。居並ぶ先生方に深く一礼をすると、一瞬目がくらんだ。
ピアニストが刻む六つの和音に続いて、わたしは静かに歌い出した。
歌曲「夢のあとに」、フランスの作曲家ガブリエル・フォーレの代表作である。幻想的で悲哀を帯びた旋律は、チェロなど他の楽器で奏でられることも多い。題名にピンと来なくとも、恐らくどこかでこの美しい旋律を耳にされていることだろう。
物語は夢の中。夢で出会った女性との燃えるような恋の喜びも、夢覚めて幻と化してしまう。終始淡々と刻まれるピアノの和音は、過ぎ去る時のごとく、ノスタルジックに色めきながら流れていく。そして、男の嘆き声だけが、神秘の夜の中に虚しく響き渡る・・・響き渡るはずだった。しかし、その時、男が声をあげることはなかった。
突然、電源が落ちたようにわたしの頭の中は真っ暗闇になった。全く歌詞が出てこない。少し前から歌い直してみるが、闇は深まるばかり。三度目歌い直そうとしたとき、「もういいです」と恩師が険しい声で言い放った。
長い夢のあとに熊が口にするフキノトウの苦さはいかほどのものなのだろうか。わたしが夢のあとに味わった苦さはあまりにも強烈で、あの出来事はずっとわたしを苦しめ続ける。本番が近くなると決まって夢にうなされ、恩師の険しい声で目が覚める。
あの瞬間に、「夢のあとに」を心の奥底に仕舞い込んでしまったせいで、わたしは未だに夢の中を彷徨っている。

冬季オリンピックが開幕した。転んでも怪我をしても、その苦さを糧に、より強くなってまた戻って来る、氷上を舞う若きアスリートたちのまぶしい姿が、わたしの心を動かす。長い冬を眠り続けていた動物を目覚めさせるような、凍てつく大地に草木を芽吹かせるような、自然の摂理にも似た力が「目覚めよ」と、わたしを揺さぶる。
ちょっと長く眠り過ぎたようだ。歌ってみよう、もう一度あの歌を。天国の恩師に届くように。
この春にはうんと苦みを盛って…。