2018-02-18 たおやかな風景 60 慈愛に満ちて 奈良新聞連載記事

慈愛に満ちて

 

二月の法華寺、まことに春は名のみの寒さであるが、本堂の中は慈愛に満ち溢れ、あたたかな祈りの世界が広がる。
「ふぢはらのおほききさきをうつしみに あひみるごとくあかきくちびる」
会津八一が「おほききさき」と詠んだのは光明皇后のこと。慈愛に満ち、聡明で光り輝く美しさに「光明子」とも呼ばれたそのお姿を写したのが法華寺のご本尊、この十一面観音だと伝わる。
夫、聖武天皇が全国国分寺の総本山として東大寺と大仏の建立を始めると、光明皇后は国分尼寺の総本山として法華寺を建立する。今は総国分尼寺の壮大な伽藍の面影はないが、いかにも尼寺らしく、境内はどこも掃き清められ、慈しみ深く、清楚な佇まいである。
政情不安、飢饉や蔓延する疫病に日本中があえぐ中、光明皇后は貧しい病人や老人、孤児たちのために、施薬院と悲田院を開かれた(730年)。施薬院は今で言う病院のこと。皇后は私財を投じて薬草を集め、無償で病人に施され、ここ法華寺には浴室(からふろ)を建立され、薬草を煎じたその蒸気で難病者の救済に当たられた。千人の民の汚れを拭うという願をお立てになられた際、千人目の人は皮膚から膿を出すハンセン病者であった。膿を口で吸い出してくれるよう求められると、皇后はためらうことなく病人の膿を口で吸い出された。すると、たちまち病人は光り輝く如来の姿に変わったという。日本の医学の歴史をたどると、光明皇后のこの記録に辿り着くという。

クリミア戦争の前線での負傷兵の悲惨な状況に、国からの依頼で、看護婦団を率いて野戦病院に赴いた女性があった。フローレンス・ナイチンゲール、イギリスの看護師、看護教育学者、そして統計学者である。
ナイチンゲールは最悪の衛生状態、物資不足の中で、敵味方に関わりなく、全力で傷病兵の看護に当たり、不衛生な病院の環境改善に尽くした。ランプを手に広い病院の夜回りを欠かさなかったナイチンゲール「ランプの貴婦人」のその灯は、今も世界中の看護師たちに受け継がれ、戴帽式の際には、キャンドルを胸に、「自分も看護師として患者を見守り続けます」と誓う。
奈良学園大学に保健医療学部が創設されて4年目、今年初めての卒業生を世に送り出す。学部長の守本とも子先生にお話を伺うと、先生の口からはナイチンゲールのお話が溢れ出した。
「天使とは、美しい花をまき散らす者ではなく、苦悩する者のために戦う者である」この言葉を強い意志と行動で示した「白衣の天使」、統計学を用いて看護の成果を分析し実践に活かすなど、看護を初めて科学的に捉えた女性、「近代看護の祖」ナイチンゲールの存在が、先生の教育の根底にあった。
「看護とは、新鮮な空気、陽光、暖かさ、清潔さ、静かさを適切に保ち、食事を適切に選択し管理すること-こういったことの全てを、患者の生命力の消耗を最小にするように整えることを意味すべきである」(『看護の覚え書き』)ナイチンゲールが示したこれらのことは、150年以上たった今も、そしてこれからも、看護の原点・基本原理として決して色褪せることはないと語気を強められた。
「卒業生たちには、また会いたい人になってほしい」ふと口にされた先生の言葉が心に残った。看護という枠を越え、女性として、人間としての在り方を追求されている先生の教育者としての姿勢が、この言葉に集約されている気がする。

寒空の下、凛と咲く法華寺の庭の椿の花。薄桃色の小さな花たちは、控えめで、決して人目を惹くものではない。奢りもせず、香りも立てず、静かに咲くこの慎み深い怜悧な花に、貧窮者や孤児、難病者に手を差し伸べられた光明皇后、捨て身で傷病兵の救護に当たったナイチンゲール、そして彼女たちのもとで献身的に働いた、慈愛に満ちた女性たちの姿が重なる。

春を待つ祈りの寺の庭に、一瞬、ショパンの「春」(Op74-2)が吹き抜けた。物悲しくも、慈愛に満ちた、慎み深い早春の旋律が。

 

※連載中の「たおやかな風景」が書籍化され、奈良新聞社より出版されました。こちらでは、記事と共に北井勲さんの素晴らしいお写真をご覧いただくことができます。全国の書店、ネットショッピングで購入していただくことができます。ぜひともお手に取ってご覧ください。