2017-06-08 たおやかな風景 67 サマータイム 奈良新聞連載記事

サマータイム

 

若い頃はよく夜更かししたものだ。いつの間にか空が白み始めているということもよくあったが、今は考えられない。日が暮れると体が勝手に活動を終える準備を始める。これは老化ではなく、傷めつけられていた体内時計が正常化したのかもしれない。
夜更かしなんてへっちゃらだった頃でも、苦手な時刻があった。「丑三つ時」だ。
24時間を12に刻みそれに十二支を当てはめる。一つの干支の刻は2時間。それを更に4等分して一つ二つと数える。つまり「一つ」は30分。午後11時から午前1時が「子の刻」、そこから2時間ごとに丑、寅、卯…ということになる。従って「丑の刻」は午前1時から3時、「丑三つ時」は2時30分ごろ、日本独特の時間表示だ。
「丑の刻」は死後の世界と繋がる刻で、「草木も眠る丑三つ時」は、闇の中に死霊がうごめいている…

連休明けの都心の朝。駅には生気のない人間たちがうごめいている。
約束までに時間があったので川越まで足を延ばすことにした。江戸の面影を残す川越、蔵造の町並みの屋根が見上げているのは鐘楼、江戸時代初頭から城下の町に時を告げてきた「時の鐘」である。幾度となく火災に遭い、今の鐘楼は明治26年の川越大火の直後、まだ自らの店も再建していない町の商人達がいち早く建て直したものだという。時を告げる鐘は庶民の暮らしに欠くことができなかったのだろう。
運よく鐘が鳴った。が、鐘を突く人が見当たらない。通りがかりの男性が、午前6時と正午、午後3時と6時の4回、自動で鐘を突く仕掛けなのだと、一人旅の女に親切に説明してくださった。思っていたより優しい音色であるが、その余韻は町の隅々に沁み渡っては消えて行く。
人が突くと音色が違うのだろうか、この辺りの子供たちは今でも「6時の鐘が鳴ったら帰っておいで」などと言われているのだろうか。隣のお饅頭屋さんの「いも恋」にかぶりつきながら、正午の鐘の音を後にした。
今や一秒たりと狂わないデジタル時計で暮らす我々には、鐘の音で世の中が回っていたとはにわかに信じ難い。大らかというか、原始的というか…いや、それがそうでもないのだ。
当時は、日の出と日没で一日を昼と夜に分け、それぞれを6等分したその一つを「一刻」、つまり「一刻」の長さが昼と夜で、また季節によっても異なる不定時法が採用されていた。
夏は冬より1時間ほど早く時間がやってきて日没までの時間が長くなる。現在のサマータイムの考えと同様だ。昼が長い時期は早く起きてよく活動し、冬は遅くまで起きていないでさっさと寝る。自然の摂理に従った省エネ生活がすでに施行されていたのだ。

ところで、奈良県は平均睡眠時間の長さが全国46位、ひっくり返して、睡眠時間が少ない県全国2位だという。
かつて「主要駅周辺の飲食店の多くが午後8時に閉店する」と取り沙汰され、奈良が反論したとかしないとか。午後8時は大袈裟だが、確かに奈良の街の灯は早く消える。そのことを私は自慢に思っているが、それはさておいて、なぜ奈良県民がそんなに眠らないのかということだ。
睡眠時間の少ない県、上位を占める神奈川、奈良、兵庫、千葉、埼玉…共通するのは大都市のベッドタウンであるということ。どうやら通学・通勤時間が影響しているらしい。電車の中ではみなスマホのチェック、そう言えば居眠りする人も減った気がする。

ジャズのスタンダードナンバーとして知られる「サマータイム」は、実はジョージ・ガーシュウィンが作曲したオペラ『ポーギーとべス』の中のアリアである。第一幕冒頭で、漁師の妻クララが「夏になれば暮らしが楽になる、魚は跳ねて綿の木は伸びる…だから泣くのはおよし」と赤ん坊に歌う子守歌なのだ。黒人の過酷な生活という重いテーマが根底を流れているが、確かに物憂いブルースのメロディーは眠気を誘う。
今宵は、エラ・フィッツジェラルドの「サマータイム」に包まれて、早く寝よう。