2018-07-13 たおやかな風景 69 ねむの花の季節に 奈良新聞連載記事

ねむの花の季節に

 

「堤道を北へ辿り、大川・荒川・綾瀬川の三川が合する鐘ヶ淵を望む田地の中の松林を背に」小兵衛の隠宅は建っていたらしい。『剣客商売』第1巻のこの行を頼りに太陽がじりじりと照り付ける堤道を歩いた。
本棚にずらりと居並ぶ池波正太郎の小説『剣客商売』は私の本ではない。飽きもせず繰り返し読んでいる夫の姿に「何がそんなに面白いのか」と手に取ったのが、私と秋山小兵衛との出会いである。
しかし鐘ヶ淵という地名だけは子どものころから知っていた。繊維関係の仕事に就いていた父は、よく鐘ヶ淵を訪れていた。目的は鐘ヶ淵で創業した紡績会社「鐘紡」である。
天守閣さながら、今も空高く燦然と輝く青い看板は、もう紡績工場のものではない。しかし、バス停に「鐘紡」の文字をそのまま残すあたりには、かつての日本の基幹産業である繊維産業を牽引した紡績の地力を感じる。
すっかり様変わりした紡績工場跡地、シャッターを下ろす店や昔気質の小さな商店が軒を連ねる商店街、かつては隆盛を極めていただろうこの下町を、スーツに身を包んだ父が颯爽と歩いていたのかと思うと、やり場のない思いが込み上げてきた。
江戸の半ば、老剣秋山小兵衛が闊歩していた鐘ヶ淵には水田が広がっていた。大きく湾曲する隅田川に綾瀬川が合流するこの辺りは、航路の難所として舟人から恐れられていたという。川の氾濫や船の事故などで亡くなった人も一人や二人ではないだろう。鐘ヶ淵の川の畔に転がっていた女の骨の話、『野ざらし』に聴くおどろおかしな落語も、まんざら作り話でもなさそうだ。
江戸にはもっと気の利いた場所がたくさんあるにも関わらず、わざわざ小兵衛をここに住まわせた作者の思惑も、わかるような気がする。

歌川広重が隅田川越しに綾瀬川を眺める朝焼けの風景『綾瀬川鐘ヶ淵』の絵筆を握った場所は、小兵衛の隠宅があった辺りのちょうど対岸で、ねむの木が植わっていた辺りらしい。取り立てて名所とも思えない切り取りが、広重の斬新で独創的な手法により、実に風光明媚に仕立て上げられている。空の色が、この前、午後から大雨になった日の朝と同じ桃色だ。この日も雨になったのだろうか。広重はちょうど今頃の季節、ねむの花越しにこの風景を見たに違いない。
亡くなる直前まで制作に取り組んでいた最晩年の超大作「名所江戸百景」は、広重の画業を締めくくるものであり、そこに描かれる江戸の姿には、安政の大地震からの江戸の復興を祈願する広重の想いがにじみ出ている。
スカイツリーが見え隠れする下町、今私がそぞろ歩く鐘ヶ淵に父と小兵衛と広重がやって来れば、三人は口を揃えて言うだろ。「変わったなぁ」と。

春日参道の南側に浅茅が原という小高い丘がある。木陰の揺れる丘の道を越えると浮見堂を水面に映す鷺池に出る。奈良公園北側の喧騒をよそに、この界隈は人影もまばらで、静かな佇まいの中に四季折々の風景を楽しませてくれる。今はねむの花がやさしく迎えてくれる。
池に張り出したねむの枝の下を、修学旅行生だろうか、三人の少年が乗ったボートが通り過ぎようとした。
「ねえ、この花、知ってる?ねむの花よ」
少年たちは一瞬私の顔を見て、直ぐにねむの花を見上げた。初めて見たのか、珍しそうに何枚も写真を撮っていた。
ねむの木は決して珍しい木ではない。万葉集の中にも見える日本古来の木で、雑木林、川べりなどどこにでも自生している。紫陽花が人々の目を惹くころ、木の上高く、ひっそりと絹の房のような薄紅の花を咲かせる。夜にはその葉を閉じて眠り、朝には目覚め、人間と同じように遥かな時を生きてきた。
「変わり果てたこの世の岸辺に苦くたたずむ」私たちに、今もどこかから、淡い夢を勧めている。
あなたは疲れた
お眠りなさいと言うように
ねむの花の咲く夕べ
夢のような夕べ…
中田喜直のやわらかな旋律に乗せて歌われる『ねむの花』(壺田花子詩)、ねむの花の季節になると歌いたくなる。